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【体験談】就職氷河期、キレる17歳世代、無敵の人、ブラック企業

【体験談】就職氷河期、キレる17歳世代、無敵の人、ブラック企業 キャリア
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新人
新人

私はZ世代と言われる世代なのですが、ニュースで話題になるひよ先輩の40代はどういった世代だったのでしょうか。

ひよ先輩
ひよ先輩

私もニュースで同じ世代を見る度に心を痛めつつ、同情もしてしまう複雑な感情なのですが、私個人的な話で世代の背景を解説していきたいと思います。

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本稿の目的や注意点

本稿は著者の個人的な経験を元にしたもので、世代すべての方に当てはまるものではありませんし、代表した意見でもありません。諸々の事件について擁護できる立場でもないですし、解決法を持ち合わせているわけでもございません。それでもなお、書こうと思ったのは病気や病歴でカテゴライズし断絶したり、排除してみてみぬふりをされてきた結果ではないかと感じたからで、将来誰かが何かの役に立ててもらえればという思いからです。簡単にはこの世代はこういった背景があるので、接触してみようでも全然良いと思っています。

家族と地元の呪縛

貧困の再生産と同じく、一億総中流から下流に向かっていくことが目に見える地域で育ちました。ポスト団塊ジュニア世代とも言われ、二人の子どもを持つ家庭で一見理想にも見えるのですが、結果同じような家庭は再生産されることはありませんでした。

  • 郊外の団地
  • 専業主婦の核家族
  • 兄弟2人(松坂世代の兄)

郊外には学生運動のデモから切り離された大学があり、平成狸合戦ぽんぽこで揶揄されるような自然を切り出したかまぼこのような同じ家が乱立する団地があり、地場産業はなく、計画された娯楽しかない土地にポスト団塊の世代ファミリー世帯が押し寄せたため、

  • 20年で消える幼稚園、小学校
  • 数社同じ会社のサラリーマンの子どもたち
  • 高齢化で廃れていく街

という作った当初からわかりきった末路を辿っていくのですが、団塊の世代の定年化によって、介護や車の問題がさらに襲ってきている状態で、地元の求人はほぼ介護職になっています。いまも子育てに優しい街として注目されている都市は、同じようなことが起きるのではと思っています。

性(風俗はもちろんコンビニすら遠く)や死(ホームレスも墓地も暴力もない)に関わるものは最初から排除され、結果当然のこととして、2世代で廃れる街となり、ノスタルジーこそあれど、誇るべきものはなく、地元愛や郷土愛もないです。Uターン就職も新しいファミリー層もいないので新陳代謝がなく「過去の団塊の世代の夢」が体現された模型のような街が綻びを帯びて佇んでいます。一定数は就職や結婚で、その地を去ったのですが、正社員になれなかった世代でもあるので、非正規社員や地元介護職は親の介護が間近があることを感じ取ってきている状態です。帰れるところがあるだけ良いともいえそうですが、日本中で起きている消滅可能性都市で親の年金で食べさせてもらうしかないのも悲しい現実かもしれません。(例外として結婚して団地に3世代で住んで祖父が現役で頑張っていたり、離婚して子どもを連れて3世代で住んでいるケースもあることはあります)

同質の小学校、キレる中学生世代

同じクラスに親同士が同じ会社(工場を持つような機械メーカー)の人が一定数いて、兄姉が上のクラスにいて、大抵の習い事がピアノで、同じ団地内でほぼ同じ家庭環境の小学生が集まる不気味な集団でした。親が看護医療系の職種、宗教に入っている人、自営業(執筆系)、教育系の職種はあまりに同質的なコミュニティだったため、目立っていました。見た目にはバブル崩壊を感じることがなかったのは、上述メーカーが大手だったからという点もあったかもしれません。

一方中学は同じ団地2に対して、丘の下の低所得層1、丘の上の高所得層1の小学校から構成されるマンモス中学校で、すぐ近くに私立進学中学がある立地でした。その結果、

  • 学級崩壊
  • ヤンキー文化とギャル文化
  • 格差社会

が生まれることになったのですが、小室サウンドと自分の生活がかけ離れているのと同じく、ヤンキーといっても、後のマイルドヤンキー的なもので、ギャル文化はわざとテストの点数を低く調整することで共生しようとする地に足ついていないふわふわとした状態でした。女性の体操着がブルマからハーフパンツに変わった境目でもありましたが、まだそのころはLGBTQ的なものではなく、同時も男女を強く意識させられるような社会でした。(おかげでヤンキーネタには困らないのですが、武勇伝はつまらないのでカットします)

漠然とエリートや社会に不満はあるけれど、集団暴力は奪われている状態で、何も変えられないもどかしさがキレる行動に出ていて、きっかけさえあれば誰でも殺傷しかねない厨二病は患っていて、そこに理由はなくてもよかったのが当時のキレる17歳として取り上げられた背景だったのだと思っています。犯罪率が突出して高いわけでもないけれど、センセーショナルな事件を起こしがちなのでより印象づいているのですが、今後も増えると思っています。

振り返れば父親はノリで学生運動に少し参加した程度のノンポリではあったのですが、朝日新聞を購読していて、著者も幼少期から読んでいたのですが、社会問題がまったく解決しないことに憤り以上に無力感を感じていました(そんな著者が初めて読売新聞を読んだ時は衝撃でした)。先生方もわかりやすく左寄りな思想で、それはそれでだったのですが、(高校時代)合唱でケサラを歌わせ、君が代問題に沈黙していた先生には複雑な感情があったのだろうと思っていました。

自称進学校、終末思想

著者は高校受験のタイミングで地元を離れた高校に行くというリセットボタンを押したのですが、リセット癖がついてしまったのはのちに響くものとなってしまいました。中学の刺激に慣れてしまったせいか怠惰な生活を送ってしまい、何となく大学いかせたい親の気持ちを汲み取っていた程度でした。ノストラダムスの大予言を信じて勉強を一切せず、当日まで遊び惚けていたという人はいましたが…自称進学校だったので、浪人で何とかそこそこの大学に入れる程度で、その地域に私立以外の進学校がないので、その地域内で幅を利かせているだけの地元のみ通用する「自称進学校」でした。

就職氷河期

まず兄姉世代の大学進学率が50%を超えるようになり、派遣法の改正により多くの業種が派遣労働ができるようになる中、90年以降のバブル崩壊が求人倍率を引き下げ、就職難になっていきます。

著者の兄は不動産業界に何とか就職できたのですが、新人研修で富士山麓の閉ざされた空間の中、自己批判を続けさせられ反省文を大声で叫びながら常に罵倒され続けるという内容で、帰ってきた時には顔が死んでたのを強く覚えています。その不動産会社は営業数十人で50%が2~3か月に1件受注、うち1人が1か月に1件売れ1,000万プレーヤーで、残りは自然と辞めていくというよくある「1千万プレーヤーのいるアットホームな職場」の営業会社で、毎日18時間労働で昼休みすらパンを食べながらテレアポする生活で、1年半で色んなものが壊れて退職することとなりました。その後兄は飲食業の雇われ店長で無制限残業というまたしてもブラックな職場にいくことになります。

著者ももれなく大学3年の冬から就職活動をはじめることになるのですが、既卒や就職浪人も混ざって応募する就職氷河期末期の時代でした。エントリー数は覚えていないのですが、100は確実に超えていて、毎日3面談×平日5日の約15回の面接を続け、夜にはお祈りメールを眺め、更にエントリーをし続けることで、社会からの疎外感が完全にトラウマになってしまいました。「どうせ落とすなら書類で早く落として欲しい」とすら思ったほどで、ほぼ最終か1次面接で落ちていました。卒論のため一度就職活動を諦め、親との仲も険悪になりながら、4年の卒業間近結果アルバイト入社できるIT系企業に就職することになります。

そして無事入社することになるのですが、その年の12月に限界を迎え辞めることになります。低賃金でテレアポする携帯代と寝泊りするマンガ喫茶代でほぼお金がなく、後から入った中途入社含め同期が13人辞めた時、限界を迎えたのですが、いま振り返るときっかけになったのは、掃除お茶くみやタバコに火をつける丁稚奉公的な働き方でも、朝礼の激詰めでも、電車内でも構わずテレアポする激務でもなく「朝出勤」でした。当時朝9時スタートで訪問しながらテレアポで19時に戻って、テレアポの続きやFAX対応やHP作成業務を進め、26時頃にどこで机の下かマンガ喫茶(その後「ネットカフェ難民」という言葉が生まれました)かで睡眠を取る習慣が「朝のほうがテレアポも迷惑だしメール仕事しやすい」という理由で6時出社が始まることになり、最初は有志でハイになっていて勇んで参加していたのが、毎日20時間勤務を続けてたせいか日中涙が止まらなくなるほど心が荒んでしまっていました。IPOして渋谷マークシティに入るというのが当時の上長が語っていた夢でしたが、その後転職先でマークシティ勤務になるのですが、その時思ったのが「こんな景色が汚いのを夢みていたのか」と悲しくなった思い出があります。

勝ち組、負け組-買いたたかれる人材、使い捨てられる人材

晴れて無敵の人になったのですが、その後親からの融資を受けて投資生活がうまくいくようになったところで、親とニート仲間だけで人生終えて良いのかと悩むようになり、転職することになりますが、ちょうど景況がよくなったタイミングで転職がうまくいくようになります。ただ隣で働く人は同じ年で派遣で入ったがゆえ、業務は補佐的ではあるものの同じように働いていて、そこに見えない壁があることを知ることになります。(一度派遣を選ぶとスキルは身に付くのですが、正社員になる道はほぼなく、法改正後も3年おきに配置換えする潜脱的な派遣契約となっていました)

負け犬の遠吠えが流行ったのは大学時代でしたが、ヒルズ族がもてはやされライブドア・ショックが起こるのはこの頃でした。小泉元首相の聖域なき構造改革が2006年で何か変わるかもという熱狂があったのを覚えています。その次に何か変わるかもと思ったのは民主党政権に変わる時だったのですが、リーマンショックとともに瓦解していくことになります。

ブラック企業、ワーキングプア

就職氷河期で正社員になれた人はリーマンショックでも早期退職制度からは外れ生き残れたのですが、派遣社員は一定のスキルはえられるものの、賃金が横ばいとなり、結果

  • ワーキングプア
  • 低欲望
  • 共働きカップル

が生まれることになり、ブラック企業経験者の著者も安く買いたたかれる状態でした。中途社員は即戦力を求められるがゆえ「ロープ一本で谷を渡るのをダッシュ」している状態で、昇進しても「絞首台に上るのに後ろから銃を突き付けられた状態」で常に崖から落ちてもおかしくない状態でした。草食男子と言われる低欲望なのは希望が見えない未来への不安の裏返しで、働けど見えない所得層の壁は厚く、およそ親世代の専業主婦というものが夢物語となり、共働きでしか子を育てられないのに待機児童問題で預けられない問題にも直面します。パワーカップルは豊洲と武蔵小杉の上層階で起きているもので、望まぬ非正規で雇用維持を政治的誇示をされたところで、空しく響き、自己責任で大したスキルなく振り向くと仲良しゆとり世代が楽しそうにしている置いてきぼりな存在となっていました。

一番悲しかったニュース

栃木女性教師刺殺事件、神戸連続児童殺傷事件、西鉄バスジャック事件、光市母子殺害事件、歌舞伎町ビデオ店爆破事件、安倍元首相銃撃事件と同年代のセンセーショナルなニュースはいまも続いているのですが、著者が一番悲しいと感じたニュースは「氷河期世代199人合格 初の国家公務員共通試験」の中身で、実質倍率28倍としているものの、申込対する合格率1.85%で10,744人が1次試験にいかなかったか落とされたかになっているというものでした。今も複数年度に渡って継続しているようですが、氷河期世代をまた大量に落とすということが、当人にとってどれだけ辛いことか考えるだけで著者は吐きそうになってしまいます。

まとめ

結局のところ、実家に戻ったとて産業はなく、今後老々介護が待つだけなので、廃れ行く郷土を愛せることなく消滅を待ち、泥水をすすって奉公してきたものを後輩には受け継がず、人材流動性には消極的で、いつ転落してもおかしくなく、すぐにでも無敵の人になれてしまうので、リスキリングや優しいセーフティネットがあると良いのですが、著者には良い仕組みが思いつかないため、これを見た方が希望を与えて下さることを願ってやみません。

以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。